「古き良き時代は懐かしい」関根伸司(1959年・定F卒)さん

旧校舎/昭和62年撮影

木材工芸科(現 インテリア科)1959年定時制卒業の関根伸司さんから、投稿「古き良き時代は懐かしい」を頂きました


近年、加齢で爺となってしまった私、記憶は定かでないが「帝都~の、中央~を、宮居~に近~く……」の校歌を斉唱したのを覚えている。あの頃の夜学としての照明設備は、総体として安泰のはずだったがたまに停電が発生した。そして普段の実習室は素朴で少し薄暗く、刃物を研ぐ流し台では砥石に手の影が生じ見づらかった。そんな環境下で、年季の染み込んだ厚い天板の板に、太い脚の頑丈なさまの作業台には力を漲らさせられた。
そして何処からともなく木の匂いのする実習室の中での仲間との掛声は良好な関係を築け、あえて誰かに聞いてもらうことで苦しみが薄まることがあった。そして、実習時間中は自分の世界に没頭でき、貴重な時間に夢中に過ごせてもらえたことが大好きだった。

今は、季節毎に届く会報「こうげい」を手にして開封するまでの僅かなあいだ、歳のせいなのか胸が「ざわつく」。それは亡くなられた重鎮会員を思い、目を瞑ると途端に面々の顔が浮かぶからだ。そして振り返ると、大海に太陽の昇る風情を描写した、歴史と伝統ある校章を構えている大理石の旧校舎で教えを下さった「あの先生」他に経済成長真っ只中で忙しかった時代に世話になった百貨店の「あの先輩や後輩」それと黒板の字が蛍光灯下で眩しい教室で一緒に学び夏季には、わが工芸の吉浜寮に涼を求めに行った「あの校友」がずっと胸に残るからです。

左、1952年校舎正面に復元された校章 / 右、1935年(昭和10年)開設時の吉浜寮

又、技術を極めて故人となられた方々からは、生きることの大変さ乗り切ることの尊さを教わって胸を打たれ、自分の足りない部分に気付き、途方もない努力を実らせてもらった。お陰で技術の面だけでなく、人として成長させてもらえ、その充足感を十分に満たすことが出来た。

最後に工芸に関わった人生として「感謝がある」。それは定時制に身をおいている凡庸の私にある日、理科担当の教師である「津久井先生」が私を新宿の若松町方面の病院に検査の為だと思ったが連れて行って下さった。病院名は忘れたが植木の「つた」の茂った静寂の建物の面影は覚えている。

今思うと何でこうなったのか定かでなく自分が生存しているのだからその訳があったのかな~、そして思った。理想な腕の「さえ」を示して下さったのは信受ある「津久井正幸先生」で、残り少ない人生に誇りと夢の明るい兆しを残してくださりありがとうございました。

関根伸司