同窓生インタビュー-3 江戸の華 二人の芸妓 金太郎&すず音」(後半)

今回は、向島の芸妓(げいぎ)として活躍される同窓生、金太郎さんとすず音さんのインタビューの後半をお届けします。

語り手(中央):
向島・金太郎(1986年・F入)芸妓(※1)
語り手(右):
向島・すず音(本名:宮尾純子 1993年・D卒)芸妓
聞き手(左):
西 和(1993年・F卒)ミュージシャン・音楽教室運営

※1:芸妓(ゲイギ)=芸者(ゲイシャ)の正式名称。

アルバイトの「かもめ」さんからプロの芸妓へ

西 :前半では、金太郎さんが現役の工芸生の時に突然花柳界に飛び込んだこと、すず音さんと金太郎先輩の出会いなどについて伺いました。では、すず音さんは、いつごろ芸妓さんになろうと思ったんですか?
                                           
すず音:私の場合は工芸を卒業する時は「詩人か大道芸人になる」って言ってたくらい何も考えていなくて(笑)、卒業後は、古着屋さん、飲食店、家電量販店、などいろいろなアルバイトをしました。

西 :その辺りでアルバイトしてたのは知ってるな(笑)。で、そこからどうやって芸妓に?

すず音:ある時、また次のアルバイトを探そうと思ってアルバイト情報誌を見ていたら「お座敷係」という名目の他より時給が高い求人があったんです。場所は向島ってなってるし、「これは芸妓さんかな?」って思いながら電話をしました。

西 :高額バイト発見!的な(笑)。

すず音:でも実は、当時の年齢が求人の年齢制限を超えていたんですが、それでも、置屋のお母さんが「いいから来なさいよ」って言ってくれて、今に至るんです。

西 :さすが向島、「粋」ってこういうことなんだろうね。

すず音:最初は「かもめ」から始めました。向島には芸妓になる前の見習いとして「かもめ」さんというアルバイト制度があるんです。

金太郎:「かもめ」ができたのはバブルの時。元々は芸妓さんの人手が足りない時にできたのが、今は「芸妓さんにはなりたいけれど、自分に務まるか心配」という若い担い手の育成の場になっています。

すず音:京都とちがって、東京では芸妓に触れる機会がほとんど無いから、そもそも何か知らない人が多くて、はじめから芸妓になりたいという人はまずいない。アルバイトで「かもめ」になった子が、先輩の姿を見てカッコいいから、とやり続ける子もいます。

西 :人手不足解消の制度が、今では新人育成の場として進化しているんですね。

工芸での学生生活・今でも活きている経験と経歴

西 :ところで、お二人はどうして工芸高校に進学しようと思ったんですか?

金太郎:普通科の授業は面白くなさそうだし、かといって商業科は苦手な数字や計算がメインだし・・・消去法で工業科の「工芸高校」を選びました。でも、実際授業がはじまると、製図なんて計算ばっかりで(笑)。

西 :確かに、F科では製図や工業数理など、計算が必要な授業がありましたもんね(笑)。

金太郎:でも、やっぱり楽しかった。今でも時々、工芸のことを夢にみることがあるんです。「いいよ、また来て」って言われる夢とか、何か作品を作っている夢とか。

すず音:私は兄が工業高校の建築科に通っていたのもあって、兄と同じ高校に進学することを考えていたのですが、そこは校庭やプールなどの施設が充実していて、マラソン大会や水泳大会などスポーツイベントが盛んで、スポーツ嫌いの私は「これはマズいぞ」と・・・。そうしたら、担任の先生が「工芸高校」を教えてくれて、調べたら、校庭は狭いし、プールは無いし・・・(笑)。

西 :え!スポーツをしなくていいから「工芸」を選らんだってこと!? 動機が不純(笑)。

すず音:勿論、デザインやものづくりにも興味があったし、ちゃんと工芸祭にも行って、作品が展示されているのも見たりして進学を決めました。

西 :ちなみに、現在は工芸と全く違う世界で活躍されているお二人ですが、工芸での経験や経歴が今のお仕事に活かされている事はありますか?

金太郎:私の時は、1年でカラス口、2年でロットリング、3年でCADを習いました。お座敷でお客さんとカラス口の話を何百回したかわからない。普通学べないことだから、お客さんになんで知っているの? と言われたり。製図やったことあるんです、と言うと話が広がるんですよ。工芸の授業でやっていたことを話すと、お客様との共通の話題になったりして、接客の引き出しとしてとても重宝しています。

すず音:あとは、「工芸高校」は知名度が高いっていうブランド力で(笑)、意外と皆さんご存知で、それだけでも話題が広がるんです。

西 :やっぱり特殊な授業内容や校風、工芸の知名度は、芸妓さんのお仕事にも活きているんですね。

芸妓の仕事の苦労と喜び、そして今後の展望

西 :芸妓さんになって嬉しかったことはありますか?

金太郎:実際に料亭のお座敷を楽しんでいただき、舞台で踊りや長唄を聴いた方から「日本の伝統って残っているんだね、是非、この文化を残していってください」と言われた時でしょうか。

すず音:初めてお座敷に来られた方が、「銀座のクラブにしか行ったことがなかったけれど、こんなに楽しいところがあるんだ」と言っていただけることもあって、それも嬉しいですね。

西 :最後に、お二人のこれからの展望を聞かせてください。

すず音:一度は体を壊してこの仕事を辞めたこともあったけど、戻ってきたからには、「地方(ぢかた)」(※2)になることです。お三味線の曲をびっくりするくらいたくさん覚えなくちゃいけないのでお稽古が大変だけど、地方はいないと困る人たち。技術を磨いて芸のある芸妓を目指したいです。

西 :音楽部でギターボーカルを担当していた宮尾さんが、まさか三味線のプロになるとは思っていませんでした。 金太郎先輩は?

金太郎:まずは健康で長生き(笑)。そして、みんなと協力して向島の花柳界が残れるように継承していきたいですね。昔は、お客さんが次のお客さんを連れてきてくれた。今は、次の代に伝えていくことができなくなってきています。

すず音:わたしが始めた頃は料亭が16軒あったけど今は10軒ほどになってしまいました。芸妓の人数も80人程と、他の花街と比べると向島は多い方だけど、それでも100人を下回り、だいぶ少なくなりました。

金太郎:この仕事には定年が無いかわりに、呼ばれなければ仕事も無い。それで、ずっと現役でいるためにも、私は震災の年(2011年)にこの店を始めました。また、すぐにお座敷に来てもらうことができなくても、「向嶋をどり」(※3)などの舞台を見に来てもらったりして、こういう世界があることを伝えていきたい。変えちゃいけない部分と、今に合わせて変えて良いところを見極めながら情報を発信していくことがこれからの課題です。

西 :芸の世界で活躍するお二人のお話しは、エンターテインメント業界で働く私との共通点もあり、大変興味深い内容でした。お話を聞かせていただきありがとうございました。

※2:地方(ヂカタ)=長唄や清元などの唄、語りや三味線や鳴物の演奏を担当する芸妓のこと。舞踊を主にする芸妓を立方(タチカタ)という。

※3:向嶋をどり=向島の芸者衆が芸を披露する舞台公演。令和5年は11月に曳舟文化センターで開催予定。

インタビューを終えて

全く知らない世界に飛び込んだお二人の経歴は、どんな職業でも、どんな時代でも、「好きなことを仕事にするために必要なこと」が詰まっていて、情報が少なかった当時でも、インターネットで多くの情報が得られる現代でも、その本質は変わらないのだと感じました。
また、文化・歴史継承の担い手としての意識を芯に持たれているのを感じ、私たち世代が次の世代への橋渡しをしていく時代になってきたのだと改めて考えさせられる機会になりました。

なかなか体験する機会が少ない「芸妓」の世界を垣間見ることのできるイベントなども開催されているそうなので、私も一度「芸妓」の世界を体感してみようと思います。

情報提供のお願い

工芸5科とは違う様々な分野で活躍している卒業生の方の、在学中や卒業後の経験を共有していただきたく、同窓会にぜひ情報をご提供くださいますようよろしくお願い致します。
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