会報誌を巡る・第3回 「昭和33年(1958)頃の水道橋」

「築地工芸会々報No.4」(S33/1958)の一面トップ記事は「菅沼会長急逝さる」ですが「近頃の水道橋」というコラムが3頁に掲載されています。1958年頃の学校周辺の状況を簡素に表現しており、現在と比較するのも興味深いです。

近頃の水道橋風景

名物オワイの香気はすこしばかり減少。水道橋の幅が広くなつて、歩きよくなつたが、それは交通量の増加を意味する。夕方のラツシユ時は、先生の声が聞きとれぬこと度々。講道館が春日町に移転したら、その跡が後楽園ジム。先だってはプロボクシングのタイトルマツチをやつてたつけ。名物ナイターの終了が定時制の放課とかちあおうものなら水道橋での乗車に大苦労。お茶の水迄テクル生徒も少なからず。ローラースケート、アイススケートとスケート族にはもつてこいの遊び場だけに、一寸困りますね。暑くなればなつたで後楽園プールと来るまさか競輪場に行く生徒さんはいないでしようが。後楽園遊園地には様々な乗り物があるだけに、一寸より道するサムライもいるでしようね。ジエツトコースターなんてものもありますからね。まだまだありますがこの辺で。とにかく娯楽場が多くなりました。一度視察して見ませんか。
帝都の中央宮居に近くへ。
(原文ママ)

※「名物おわいの香気」→神田川を「汲み取り」で集めた「おわい」(汚穢/糞尿)を積んだ船が往来していた頃で、大先輩の方々には懐かしい風景(風香)だと思います。

 


※「工芸学校80年史」P138

・昭和47年(1972)頃の母校と周辺、写真最下部の国電(現JR)の上部左右に流れる黒い帯状の部分が神田川。