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連載-17 もっと知りたい都立工芸の歩み新着!!

準備される戦争への道 江戸川河川敷で食糧増産の耕地づくり 授業内容の変更 1937年(昭和12)には国民精神総動員実施要綱が決定され、文部省はそのために授業内容を変更する。本校でも修身に新たに4年から「公民心得」が加わり […]

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校章の話-3 校章の復活と再度の消滅

「60年記念誌」の巻頭に載掲された校舎正面の写真 昭和3年に竣工した水道橋新校舎に掲げられた紋章の様な校章は王冠が問題になり王冠部分が切り取られ、昭和18年(1933)の「金属類回収令」で供出され校章は無くなり、土台だけ […]

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校章の話-2 水道橋新校舎に校章が掲げられ、創立は紀元2567

築地校舎正面 1923年9月1日(土)新学期の始まりの日、午前中に母校の「夜間工芸併設実業補修学校木材工芸科」に二学期からの入学願書を提出した谷口俊朗さん(昭和2年F卒)の「大震災当日の工芸」と題した一文が「築地万年橋」 […]

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校章の話-1 校章の創案

都立工芸高等学校は1907年に東京府立工芸学校として築地で開校され、現在まで震災や戦災をはじめ時代の影響を受けなが現在の姿に至っております。学校の歴史や事蹟については昭和32年発行の「工芸50年」を皮切りに「60年」「7 […]

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連載-16 もっと知りたい都立工芸の歩み

喜びの波騒ぐ吉浜寮「我らの寮はここに在り」 吉浜寮、平屋の建坪は約160坪 吉浜寮の楽しき日々 本科の校友会に水泳部が設立されたのは1932年(昭和7)のことで、千葉県竹岡村の安田保善商業学校の寮を借りて10日間の臨時合 […]

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連載-15 もっと知りたい都立工芸の歩み「体育祭を盛り上げる各科応援歌」工芸名物・デコレーションの下で

「高さ制限後のデコレーション」(1956年(昭31)10月7日/安藤良子(1959年・D卒) 工芸祭と並んで創立以来の「工芸名物」が体育祭だ。なによりも各科競演のデコレーションは毎年注目の的。そして、伝統のメディシンボー […]

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連載-14 もっと知りたい都立工芸の歩み「寝耳に水の移転問題に反対請願」

多摩ニュータウン移転問題 1969年(昭和44)から8年間ほどくすぶり続けたのが「多摩ニュータウン移転問題」であった。これは都教育庁が都立高校の定時制の1校集中化を図る中で、その場所を水道橋の本校地に求めたことから生じた […]

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連載-13 もっと知りたい都立工芸の歩み「70年大阪万博 修学旅行」

 1970年(昭和45)は日本万国博覧(EXPO'70)が開催された年として多くの国民に記憶されている。テーマは「人類の進歩と調和」で3月から半年間、大阪の千里丘陵を会場として開催された。その間訪れた入場者は6421万人 […]

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連載-12 もっと知りたい都立工芸の歩み「旧松平邸の面影残す池と金毘羅様」

松平奨学賞メダル 松平氏より敷地購入 工芸学校が震災後移った水道橋の現在地は、旧讃岐藩・松平頼寿氏の邸跡であった(建物は焼失していた)。東京府議会で賛同を得て、宇佐美勝夫府知事をはじめ関係者の尽力により、松平伯との敷地売 […]

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連載-11 もっと知りたい都立工芸の歩み「意匠が凝らされた校舎内部」

 1927年(昭和2)8月31日に竣工した新校舎は、耐震耐火の鉄筋コンクリート3階建て。芸術的にも工学的にも時代の先端を行くものをめざした。  鉄製の正門を入り、車寄せをもった正面玄関を入ると、大理石が床と壁の腰高(1. […]

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