スタッフブログ-6「目指せ!自転車を漕いで工芸高校へ」

S61年卒PG理事 井出賢一

四月も過ぎ卒入学式の季節も桜の花が散るとともに終わり、真新しい制服姿の学生たちを見ると、ふと昔を思い出す時があります。今回のスタッフブログはそんな自分の高校受験のエピソードをひとつ。


[ 満開の桜 高校入学を控えた次女 荒川土手にて ]

それまで日々の生活を凡庸に過ごしていた自分にとって、高校受験は人生における初めてのハードル。「燃えつきるまで頑張るぞ!」という周りのクラスメイトたちのようにはなれず、目標は自分の偏差値内で行ける都立高校普通科への進学と決め込んでいた。「まぁ都立だし学費もかからないので親孝行だよなぁ」、そんな希望を母親に話すと「大学まで行かせる財力はウチにはないよ、卒業したらとっと働いておくれ」とのひと言。そもそも大学へ行くつもりはなかったが、働くという事も、ちゃんと考えたことがなかったので、そうなると普通科ではなく職業科のある工業、商業高校への進学となるのだが、商業高校は女生徒が多く思春期真っ只中の自分には少々気恥しい思いがあり、さりとて工業高校は当時、校内暴力のイメージとツッパリが闊歩する学内を想像するだけで怖気づき、なんとも先行きが見えない。

そんな時、高校案内の本をパラパラと捲っていると断裁ミスでくっついた頁を発見、破いて中を見ると都立工芸高校の文字が、そこには他にはない学科が並び、校舎は水道橋、葛飾の下町の少年からみれば校名も含め憧れを抱くことになったのだ。

それから、学校を見学したくなった自分は工業高校志望のN君誘い、なぜか私立の男子校を既に志望しているU君も行きたいというので3名で放課後に訪ねることにした。だれが言い出したかは覚えていないが体力を持て余した少年たちは自転車で工芸に向かうことに。途中、道に迷い日も暮れかけた頃に何とか学校へ到着、事務室で見学の旨を伝えると事務員さんが遅い時間ながらも各科に電話を入れて対応してくれる先生を探し、印刷科なら先生がいるということで科務室まで案内をしてくれた。


[ 1980年代当時の実習室 ]

緊張しながら部屋に入ると、そこには後に恩師となる黒川先生と金子先生が居り、黒川先生の「よーく来たなぁー」と独特のクセのある大きな声と金子先生の笑顔が自分たちを迎えてくれた。緊張している自分たちにミルから豆を引いたコーヒーと、缶に入った高級そうなクッキーを勧めてくれたことに感激するなか、黒川先生がモノクロの写真を1枚差し出して「これはなんだかわかるか」と質問。写真を見ながら悩む自分たちに「赤女って言うんだよ」「赤女?」女子生徒の写っている赤く変色した写真(後に定着に失敗したものとわかるが)に「赤女だぁ」とニコニコ説明してくれる先生、もちろん緊張をほぐすための冗談なのだが、赤く染まった写真は「赤女」なのだと納得する自分たちを「ハッハッハッ」と恵比寿顔で見守る金子先生。先生たちへの親近感や雰囲気に慣れるには時間は掛からなかった。既に生徒のような接し方で工芸のことや学校生活のこと、そして難しくて理解はできなかったけど授業さながらに印刷の魅力について熱く教えてくれた事がとても嬉しかった。もう、この時点で工芸の魅力に完全ノックダウンだった。
帰り際、模擬試験の結果や内申書の見込みを先生たちに伝えると「大丈夫だぁ」「待ってるからな」という言葉を掛けてくれた。

日の暮れた帰り道、次は工芸合格を目指すのだと高揚した気分のままで自転車を漕ぐ。時折吹く風がとても気持ち良かったこと。そんなことを40年たった今でも思い出す。

因みに、翌年N君は向島工業、U君は東海大高輪高校に合格。
さらに数年後「赤女」の話を黒川先生に話すと、まったく覚えてないとのことなのでした(笑)。