同窓生インタビュー-2 卒業から30年、音楽部の部長は今

都立工芸高校の自由な校風の中で青春時代を過ごした同窓生たち。中にはユニークな道を開拓した方もいらっしゃいます。
2回目の同窓生インタビューは、工芸5科で学んだ分野とは違うフィールドで活躍する卒業生にフォーカスをあてました。卒業後、音楽の道へ進み、現在音楽スクールを運営している西 和(にし やわら)さんにお話を伺い、在校当時の思い出や、現在に至るまでの道のりを振り返っていただきました。


 

語り手(左):
西 和(F科1993年卒)株式会社アダチ音研 本部長 ドラム義塾創業者
聞き手(右):
遠藤裕美(D科1993年卒)イラストレーター、美大非常勤講師

西さんにはインタビューの前にドラムの演奏を聞かせていただきました。皆様もぜひお聞きください。
(下の画像をクリックすると動画が再生されます。音が出ます。ご注意ください)

 

音楽部部長を2年間つとめたそのわけは?……元部員が30年経って知る事実

遠藤:西さんはF科、私はD科で、科は違うのですが同学年、音楽部で一緒でした。卒業後は接点が無かったんですが、数年前に当時の音楽部の仲間とSNSで繋がるようになりました。それがきっかけで現在のご活躍を知り、今回インタビューさせていただくことになりました。まずは自己紹介をお願いします。

西 :株式会社アダチ音研という音楽スクールの本部長、会社の番頭さん役です。スタッフ22人の総合ポピュラー音楽教室を運営しています。

遠藤:在校生の頃、西さんは音楽部の部長として頑張っていましたよね。

西 :うん、やらされてた!(笑)。3年生が卒業した後、一学年上の人が手を挙げず… …2年生になった時から部長になってしまって、二年間、部長をやっていたんですよ。

遠藤: えぇ! 2年に進級していきなり部長だった、と! そういえば、1つ上の学年の部長の記憶が無い…。すみません、今更ですが……知りませんでした。部員によってやりたいジャンルも違うし、其々個性も強めで、その代表として動くのは大変だったよね。やっぱり工芸祭が一番大変だった?

西 : そう、工芸祭ライブの機材手配は全部一人でやってた。外部からPA(音響)の機材を借りる手配とか、2年生になりたての時はどうしていいかわからず、卒業した先輩に電話してPA屋さんを紹介していただいて。

遠藤:えぇ!(2度目)すみません、それもまた、知らず! 毎年行われる催しだから顧問の先生が手配しているものだと思ってた…ごめんなさい〜。卒業から30年も経って、今更ですが、部長、本当にありがとうございました。(深々お辞儀)

西 :いえいえ! 多分誰も知らないと思います(笑)。

反対された音楽の道へ進む

遠藤:在学中からドラマーになろうと、音楽の道に進もうと決めてた?

西 :時代が当時はバンドブームだったんですよ。中学の時からバンドはやっていて、音楽をやって成功すれば凄く儲かるという夢があった。

遠藤:本当にバンドブームだったよね。オーディション番組やそういう雑誌もあったし、お茶の水の楽器街には「メン募」(メンバー募集)の張り紙もたくさんあって、盛り上がりが身近だった。

西 :元々得意だった美術系の工芸高校を選んで通いつつ、音楽もやりながら(進路を)どうするかなぁと思っていたけど、時代的にバンドがどんどん盛り上がっていたからね。「俺はバンドで行くわ」って親に言ったら、大っ反対された。「仕事にするということは、賃金を稼いで食べていかなければならない事だとわかっているのか」と言われて。だけど、何でもそうだけど、仕事として請け負うことになったら、何かしら制約がかかって、自分の自由というわけにはいかなくなる。そうなったときに、自分は音楽ならあらゆる制約ごとがあっても対応できると思ったんだよね。どんなことでも受け入れられる。それが音楽の方にあった。ジャンルにこだわりもなくて、ただドラムを叩いていることが楽しいし、これでお金をもらえるなら何でもいい!と思ってた。

遠藤:どんなジャンルでもめちゃくちゃ上手い上に、科や学年を跨いでいろんなバンドを掛け持ちしていて、なんでも叩いていたよね。

西 :ドラマーの数が少ないのもあってね、そう、特にこだわり無く掛け持ちしていましたね。嫌じゃなかったんですよ。

遠藤:けど、大反対だった親をどう説得して、納得してもらった?

西 :自分はもう自信満々だったから、何度言っても聞かないことで親が根負けした感じ。三者面談で、母が「この子、音楽をやると言うのでそうさせます」と言った時の、担任の顔が今も忘れられない(笑)。

進学した音楽学校でまさかのビリに

西 :でも、最低条件として専門学校へ行け、ということになったの。「そんなところへ行かなくても俺は大丈夫だ」って最後まで言っていたんだけど。

遠藤:高校で既に格段に上手かったし、すぐプロになれるって私も思ってた。当時のハードロック、ヘヴィメタル系も完コピしていたし。

西 :でしょーーー!! だけど、親がど〜しても。「どこでもいいから兎に角、専門の学校へ行きなさい」って言うから。

遠藤:クラスで唯一、音楽の専門学校へ進んだんだね。

西 :ところがですよ、学校に行ってみると、日本全国から上手い人が集まっている。プロを目指して腕に磨きをかけるために、地方から出てきて下宿している人もいて、そうやって東京に集まってきているわけだから、み〜んな腕があって凄く上手いの。蓋を開けたら僕は下から2番目だった!!

遠藤:えぇ!!(3度目) 下から2番目……、ということは、確実に自分よりは下手な人が一人いた?

西 :いた。だけど、その一人はすぐに辞めてしまって、自分がビリになっちゃった(笑)。兎に角みんな上手くて、中でも本当に上手くて「こんなヤツいるんだ…!」って驚いた同級生がいて、その彼には今うちの学校でドラム科の長をして貰っているんですよ。

遠藤:でも、西先生はビリから頑張った。

西 :がんばった!

メジャーデビュー、そして運命の出会い

遠藤:プロとして演奏していたのはいつ頃?

西 :実は僕は1998年にメジャーデビューしてるんです。専門学校を出た後にオーディションで受かって、長いバンド名なんですけど「熱風音楽市場魅惑の東京サロン」という、ラテン系の大所帯バンド。お祭りバンドだったから地方の色んなお祭りに出演してました。そこで3年くらい演ってたけど、売れなくて。けど、業界とのつながりができたんですよね。バンドが解散して、事務所を辞めてから色んな音楽の仕事を貰うようになった。そこがフリーのミュージシャンとしてのスタートでしたね。

遠藤:それから色んな歌手のサポートで演奏するようになったんですよね。どんな方のサポートを?

西 : w-inds、小柳ゆき、DEEN、Le Couple、東京エスムジカなど、今も時々当時サポートしたアーティストからのオファーで演奏の仕事をすることがあります。その仕事をするなかで同じくサポートをしていた今の社長と知り合ったんです。

遠藤:その出会いがあって、プレイヤーから指導者へシフトして、このスクールを作ることになっていったんですね。すごいなぁー!人に歴史あり。

西 :本当にね〜。自分のこれまでを振り返る機会なんてあまりないから、改めて色々あったなぁって思うね。

指導者になって思う、学校という場所

遠藤: 先程このスクールの見学をさせて頂きました。レコーディングスタジオや様々な環境が揃っている素敵なスクールで、西先生はドラマーや運営者としてだけでなく、内装のクロス貼りなど“F科”的な腕も奮っていたり、スクールのカリキュラムも興味深くて、お話を伺いながら、今の西さんはとても充実していると思いました。このお仕事のやり甲斐など、ご自身は今、どう感じていますか?

西 : 音楽で食べて行く、というのが一つの目標だった。本当に音楽だけで生計を立てられる人ってほんの一握りしかいないから。その人たちも睡眠時間を削ってずっとプレイするような仕事をしてたりするんだよね。そうではない90何パーセントの人たちは恐らく音楽とは別にバイトをしなきゃいけない。自分もフリーになった時はサポートの仕事とバイトの掛け持ちだったし。そんな中で今の社長と出会って、「どんな形でも、音楽に携わって、音楽で食べていける状況を作ることを目標にしよう」って言ってくれた。まずバイトをやめられるように、音楽を教える仕事をしよう、と始めたから、今はまず音楽に携われているということ自体が有難いし、それでちゃんとご飯を食べて生きていられる、というのが、奇跡に近いと思う。

遠藤:教える側って、実績や経験がないと、教わる側の立場になって考えられないと思うんです。かつて通った専門学校での、特にビリだった自分の経験が指導する側になって生きているのかな。

西 :そうそう、大きいよね。あそこで習っていなかったら教えられないと思う。下手っぴの方が、いっぱい教わらざるを得ない。だから“教えてもらう”という経験をそこでいっぱいさせて貰えた。

遠藤:親の言うことを聞いておいて良かったねー(笑)。

西 :そうだよねー(笑)、専門学校の伝手でデビューのきっかけになったオーディションも受けられたし。行っていなかったらたぶん今はないから、行っておいて良かった。

遠藤:学校や先生って、業界への入り口や繋がりでもあるよね。

西 :そう。学校に入ったらもちろん技術の習得も大事だけど、コネクションを作ることも、在学しているうちしかできない。色んな先生と仲良くなったり、色んな友達を作っておくと、のちにどこかでそれが繋がっていくんだよね。

遠藤:工芸高校も個性をそのまま受け入れてくれる所だったから、色んな人がいたよね。

西 :ほーんとに色んな人がいたよねぇ〜(笑)。おかげで卒業後はどんな人でも受け入れられるようになっていた気がする(笑)。

遠藤:今年度も工芸祭ライブはあって、定時制と全日制合同で行われていたみたい。

西 :本当に!?今もそうやって続いているのが嬉しいね!!

遠藤:そういえば当時の音楽部のドラム、ボロボロだったよね!

西 :あれね、酷かったから買い替えたんだよ。2年か3年の時に予算を申請して。お茶の水の楽器屋に行って買いました。

遠藤:えぇ!(4度目)それも…(笑)すみません部長、30年経っていますが、ありがとうございました!!(お辞儀)

西 :いえいえいえ(笑)。

インタビューを終えて

ご本人は「奇跡」とおっしゃっていましたが、「音楽で生きて行く」というブレない強い信念と、昔と変わらず寛容で真摯な西さんの人柄が出会いと今を作っていると感じました。
次はこのスクールの生徒さんの目標や夢の種が育って、拡がって行くのですね。
インタビューとともに高校以来の西さんの演奏を生で聴かせて頂き”プロの音”に感激でした。
私自身もパワーをいただきました。ありがとうございました。
そして、30年前、音楽部にいたアナタ。西部長にお礼を伝えましょう(笑)

今回はスクールへお邪魔しての取材となりました。ご協力ありがとうございました。
取材中も広い年齢層の方がレッスンにいらっしゃっていました。
無料体験レッスンも受付中だそうです。

総合ポピュラー音楽教室 株式会社アダチ音研

神奈川県横浜市南区永田東3-16-5
Tel/Fax 045-711-8282
フリーコール 0120-977-474
Web: https://adachionken.net

情報提供のお願い

工芸5科とは違う分野で活躍している卒業生の方の、在学中、卒業後の経験を同窓会に共有していただきたく、ぜひ情報をご提供くださいますようよろしくお願い致します。
情報投稿フォーム(https://www.kogeiob.com/info_entry/