連載-3 もっと知りたい都立工芸の歩み

体育祭の青空にそびえ立つヴィーナス


体育祭のデコレーション。右端が図案科のヴィーナス(1949年)


 令和4年度体育祭が、3年ぶりに開催された(全日制)。今年の優勝はデザイン科、準優勝はマシンクラフト科。

 体育祭は、工芸祭と並んで創立以来の「工芸名物」。なによりも各科競演のデコレーションは毎年注目の的であった。
 1949年(昭和24)に誕生した図案科(デザイン科)の1期生は26人。シンボルカラーに青春を意味する「コバルトブルー」を選択した。少人数であるがために、競技力で劣ることをカバーしようと、デコレーションで他科を圧倒する作戦がとられた。当然ながらベンチ割り当ても少なく、間口が狭い分、それならば高くそびえる飾りをと知恵をしぼった。
 最初の年が「パレットを背にしたヴィーナス」で青空高くそびえ立ち、作戦は大成功。次の年の「天国への階段」はついにその高さが屋上に達した。以後、各科の間で高さの競争が激化、ついに学校より寸法制限が出される原因となった。

 ちなみに、体育祭を盛り上げる各科の応援歌は、先輩から後輩へと歌い継がれている。インテリア科は、応援団が着用する学生服も大切に継承されている。

*このコラムは「都立工芸100年の歩み」から画像と文章を引用し再構成しています。